2015年3月28日土曜日

SFCでの4年間

「成績も優秀でした」卒業式で、担当教官にそう声をかけられた。

3.11を経験して以来、世の中には僕と変わらないけど、一瞬のできごとで大学に通う機会をもぎ取られた人が多くいるのだと思って生きてきた。偽善ではなく、それくらいあの地震・津波・原発事故の3つが共なって起きたあの日、そう強く思った。2011年4月に入学予定だった人がどれだけいたのだろうか、そう思いを馳せた。

それもあって、僕の勉強しようという決意は強くなった。もちろん、僕よりも本を読み、研究に没頭し優秀卒業論文を書いている人を僕は知っている。だけど、でなくても良い補講にでかけ、こつこつと自分の知らないことを頭の中に詰め込んで、整理し議論をしてきた。


もちろん、毎回の授業が充実していたとは言えない。「こんな授業を...」そう思ったこともあった。けれど、改善してほしい、僕の次の人が同じ感想をもたないように。そう思って授業改善のアンケートも出していた。
読書家の父を見てきた僕は、サッカー以外のことは知らないことが多すぎると大学に入る前から自覚していた。だから、自分の関心を、知見を広げたくて本当にいろいろな授業を履修していった。学びへの欲は尽きなくなり、「この前別の講義の内容と関連はあるのかなあ」などと疑問がわけば質問をしひとつひとつ消化をしていった。 お受験のための勉強はなんて陳腐なものか、学び本来は楽しいとものだと教わった。いろいろな本を読み漁り、先生へのアクセス、分野を超える軽やかさのあるSFCだから、議論をふっかけることができた。

(PRONTOのまわしものではありません)

「大学時代は人生最後の休みだと思って、一生懸命遊びなさい」
と誰かに言われた。だけど、遊ぶのならば学費に費やされるお金を元手に世界一周でもすればいいと思う。学生だからできないことは、やっぱり学校「で」学ぶことにあると思っている。図書館にはあらゆる分野の本やデジタルの資料、その第一線の研究者(そうじゃない人も多くいますが...)、勉強以外でチャレンジをできる場、そして著名人へのアクセス。
学生のうちに会っていなかったら、お目にかかることもできなかったであろう人と会えるのは、なりたい自分の幅を広げる意味でも、そして自分の未熟さを理解する上でもとても大切なことだったと思う。

人という点で言えば、変な人に囲まれたことは、自分が自分らしくいる勇気をもてたし、何よりお互いに協力し合って、何かを創り上げる経験に繋がった。この4年間で多くの仲間を得て、これから旅立って、自分が辛いときには「アイツが頑張っているんだから」と、相手が悩んでいるときには手を差し伸べられる、この先の人生がとても楽しみだ。

正直、日本の学校は海外の人の話を聞いていてフレキシブルではないし、サポーティブでもないと思う。それは今の日本では仕方ないことだと思う。多くの学生がそれを期待していないから。学校にいかなくても学生にとってメリットはないと考えられているから。


だけど、それでもあれだけ貴重な機会・情報が溢れた環境はなかなかないと思うし、あのような機会を逃している学生は本当にもったいないと思う。僕は、たくさん先生にお世話になった。時給換算したらいくらになることやら。。本当にお世話になりました

慶應に、SFCに入学ができてよかった。いつの間にか、アントレプレナー、3Dプリンター、残留などというワードを使うようになり、世間のウィンドウズの多さに驚くようになった。僕もSFCという場に気付いたら馴染んでいた。雨の日の臭い、芝生のついた背中、授業中のパソコンを打つ音、そして残留明けの美しい朝日。ひとつひとつが鮮明に思いだされるほどに僕は、SFCが好きだし卒業できたことを誇りに思う。

2015年3月20日金曜日

同世代のスゴさ

昨日、久々に友人何人かで集まって食事をしていた。5人中3人は個人事業主みたいなカタチで仕事をしている。みんなの話を聞いて彼らの経験はとても等身大だけど、なかなかできないものだなあ、と思いながら耳を傾けていた。

2人はデザインや動画制作など、自分のスキルで仕事を引き受けている。それだけでもうスゴいのだけれど、話を聞くとその大変さが伝わってきた。
大きく彼らの悩みは2つだと言えると思う。

・自分の仕事に値段を決めること
・自分の好みと相手の好みの相違

かかった費用や自身の人件費、また作品そのものの値打ちを決めないと取引が出来ない。仕事がはじまらない。作品の値打ちを付ける、つまり、自身の腕をいくらで買ってもらうのかなんて考えたことなかった。自分の働く値打ちは決めてもらっていたからだ。
お金をもらいながら学ばせてもらう時期を僕はまだ過ぎてない。そんな中で、自分の技術にお金を払ってもらうなんて。

「まだ食えるまでは難しいけどね」という彼女はたくましいし、かっこいい。


作り手は、クライアントにいくつかの案を提示し、選んでもらうことになる。自分のとっておきは、相手にとっての一番にはならないことがしばしばだそうだ。むしろ、「これはないな」というものを選ばれちゃったりもするみたい。
相手の選択を知ることが、世間を測ることに繋がるのかもしれない。けど、そうじゃ自分の世界を受け入れさせることにはならない。世間の想定外の未来を創ることができないそう。
それで、相手とディスカッションをしてというプロセスをして、自分の考える世界を感じてもらう。それを世に出してもらう。

僕はいつになったら彼らの域に達するのだろうか。彼れらは雇われるという選択をしなかった。しないで自身のやりたいことを追求するから、これだけ大変な経験にあうのだと思う。好きなことを突き通すのは簡単じゃないと考えさせられる。

一緒に仕事をした仲間がこうやって頑張っている姿をみて、刺激を受けない訳がない。

2015年3月17日火曜日

沖縄の蒼い空

3/10、ホテルから那覇空港へ向かうバスのなかで卒業が決まったことが確認できた。分かりきっていた結果だけれど、大学生活を終えたということは感慨深い。今はきちんと4年間が振り返ることができない。なぜなら最後の4年目があまりに濃く学びの多い1年だったからだ。そんな4年目の少し自身を浮わつかせるような達成感をリセットするために、「めざすは南へ」一人で沖縄に行ってきた。

着いて1日目、2日目と曇り空。雨が降ったりやんだり。しかし、沖縄に行くと決めてからバババっと宿をとったわりには、ホテルのロケーションもオーナーも最高のおもてなしで不満なく過ごせた。
そして迎えた3日目。天気に恵まれ、貧乏旅ゆえの自転車旅行がはじまった。ホテルは名護市よりの恩納村にある。そこから、まずは30kmをかけて古宇利島、そこから水族館まで行き、ホテルまで戻ってくるという90kmの道のり。


ホテルを出発してすぐ左に美しい海が目の前に広がるが、浜風が強くそれを堪能する余裕がない。観光バスが黒い煙を残しながら横をどんどん通り過ぎて行く。この煙がのちのちやっかいなことになるのはこのとき考えてもいなかった。
途中で、コンビニにより道を確認する。丁寧に対応下さった店員が教えてくれた道をゆく。しかし、早速、道に迷った。急な上り坂が続くなと思っていたら、山へ続く道だったのだ。上の地図で、途中で斜め右へ下るようにしているが、ちょうどここで間違えた。

少し戻って、北へ。しかし、この教えてもらった道がとっても危ない道だった。5km近くのトンネル道で歩道もない。まずはライトをつけて対向車線側の道へ移る。じゃないと、車に僕が走っていることを伝えられず、とてもじゃないけど危険。トンネルでは皆さんスピードが出がちなのかしらん。とんでもないスピードで向かっては過ぎて行く。トラックやバスが通り過ぎる時は自転車を降り、おす。自転車に乗る前に通る普通車が速度を緩めこちらをみてくる。「自転車パンクしたのかしら、大丈夫かな」とでも言うような視線が刺さる。

ゆっくりとトンネルを通り過ぎると大通りへ。そこからはいたって順調。スピードも上がる。途中でアイスを売る高校生くらいの女の子に道を尋ねた。めんどくさそうにイヤホンを外したその子に、「古宇利島へはどっちの道がいいですか?」と聞くと少し驚いた様子で答えてくれた。終わり際に「頑張って下さいね」という声がペダルの回転を更に上げる。彼女が少しひいていたのは想像に難くない。



1つ島を通り過ぎると目の前は絶景が広がった。蒼い空から注がれる太陽光がティファニーの色をした海を創りだす。透明度が高く底まで覗くことができた。古宇利島の文字が見えたと時は運動不足の腿前はもちろん疲労が拡散していたけれど、達成感でそんなの吹っ飛んだ。自転車を止め、靴を脱いで浜辺に腰をおろす。カップルや大学生のグループもみな、興奮し波に足をさらす。


改めて沖縄に来てよかったと実感。遠くまで広がる海、リズムよく止まることなく砂浜をさらってゆく波、そして満点の太陽。全てが美しく、自転車じゃなきゃビールが飲みたかったなあ。オリオンビールはお預け。しばし、目の前の光景でエナジーチャージ。


ホテルの人が言っていた様に12時を超えると空が曇ってきた。そこで、砂をはらって、靴を履きお食事どころへ。芸能人も訪れているよう。まあ立地的にそうだよね。タコライスを食らう。ピリ辛でうまい。減ったペットボトルにこっそりと水を入れさせてもらい準備万端。せっかくなので島を一周することに。これが災いの元だった。まず、上り坂が大変でかなり歩いた。しかも皆さんもちろん車で移動しているので、クッソーと思いながらなので疲労もより蓄積する。登りきるとそこからは下り坂な訳だけど、スピードが出過ぎて恐くてあかん。


どうにかこうにか一周し、美ら海水族館へ。25km弱の道のりだが予想以上にアップダウンが激しい。しかも田舎道で歩道はあまり舗装されておらずガッタガタ。これで地味に腕が疲れた。これに合わせて歩道に車が停まっているんですね、こっち。いやまじで。平然と占領されている。ふーん。途中途中、喉を潤わせペダルを強く踏む。

その道をゆく途中で、馬が歩道を歩いていた。二匹。上には人が乗っている。横にはバンが並走する。恐くてさっさと横を通りすぎたら、乗馬中のお兄さん、バンのおっちゃんが「わるいねえ」と言われる。しかし、この人ら悪趣味だった。通り過ぎて10mくらい前に出ると後ろから「頑張って追え!」とか言ってる。振り向くと馬がスピードを上げて迫ってくる。疲れていたけれど、とにかく馬の足音がどんどん大きくなってくるので自転車をこぎまくる。少しずつ、足音が小さくなっていったので後ろを確認するとスピードを落としていたのがわかったので、自転車を降りた。ホッと。

そこから下り坂がきて、ビューンと下りそのスピードでこいでいたらあっという間に目的地に着いた。海浜公園のおじさんに駐輪場を尋ねると「どこから来たの?」と言われて「恩納村のほうから旅してるんです」と伝えると、笑っていた。まずは、公園内の浜辺で休む。修学旅行をしたとき、水族館でジンベイザメをみたらすぐに移動しビーチサッカーをやっていた場所。その記憶が甦るまでに時間がかかったのは、潮が引いていて光景が異なっていたから。今回の修学旅行生は残念でした。ビーチバレーにビーチサッカー、最高だったなあ。学生たちを残して、いざ水族館へ。しかし、休憩所で少し椅子に座ったら40分くらい寝ていた。疲れていたのです。

起きて水族館をみるも、人の数がすごい。狭い道で自撮棒を使う人をすり抜けるのに疲れる。皆さん、自撮棒は便利だけど使う場面を考えましょう。うんざりして椅子に座る。座って10m近い巨体を水中で動かすジンベイザメの姿をしばらく眺める。奴らは口一杯に海水を含みその中のプランクトンを食べるらしい。1日30kgほど食べると聞いて驚愕。何リットルくらい海水を飲むのだろう。
そんなことを考えつつ、ボーッとしてサメコーナへ。ホオジロザメとか狂暴なのがいる。ちょうど餌やりの時間でラッキーっと、水槽を眺めるもなかなか食べない。スタッフも必死。スタッフとサメの攻防がはじまる。絶対に負けられない戦いがそこにはある。食べさせたいスタッフと食べないサメ。エサを揺らし気を引こうとするも目もくれずサメは通りすぎる。食べる食べないというやりとりをして、最後はサメが折れて仕方ねえな、とパクっ。


それで満足した僕は、少し滞在時間は短いけど水族館口をあとに。そして、近くの並木道を自転車で抜けて小さなかふぇへ。そこで紅いものおしるこを頂く。う、うまい。写真は、古宇利島以降、撮る気力があまりなかったので写真はないです。現地で是非食べてください。イモの甘さがまた、おしるこの異なる甘みといいハーモニーです。そこでエネルギー補給をしてホテルまでの30km強の道をスタートする。駐輪場を案内してくれたおじさんが近道を教えてくれたので、その道を行く。おじさんに「気をつけて、頑張ってな!」と言われ気合いを入れる。別れを告げ、近道を行くとさっそく上り坂。思わず、この道キツいやん、と心でつぶやく。


しかし、手で押すこと10分弱。頂上が見えそこからは下り坂。風を切り裂くように走る。怖いのでブレーキはきちんと握る。時速40kmくらいで坂をするすると下るとあっという間に広い道へ出た。「帰りは案外楽かも?」と思ったが、これは間違いだった。

帰りはずっと海岸線沿い。向風が強く前に進まない。それに腿前は疲れがハンパない。排気ガスによって鼻がむずむずしてきた。思わず平坦な道でも途中途中で自転車をおして前へ進む。だんだんと日も暮れてくる。大通りだから車がすごいスピードで走り抜けていく。GPSを確認するもゴールには程遠い。
やっと半分まできた、と思ったら雨が降ってきた。これには参った。傘なんか持っていってない。うーむ、一眼を守るべくウィンドブレーカーの下にカメラをぶら下げる。これで準備万端。スタートするもライトがいるほど暗くなり雨も少しずつ強まる。残り1/3くらいで本当に心が折れそうになってノリでこんなことやるんじゃなかったな、と思う。しかし自転車以外の手段がないのでペダルに力を入れる。がんばれがんばれ。自分を励ます。残り3kmくらいまでは、お腹も減ってしょうがなかったが、これを乗りきったら上手い晩飯が待ってると思い、コンビニを通りすぎる。

ブセナが見えたときは、やっと!という感じで涙が出そうだった。そして少し経ってちゃんとホテルの看板が見えて、充実感で心が満たされる。GPSをつけた携帯の電池はちょうど10%。90kmの長い長い旅は、10時間強で怪我なく終えることができた。
温かいお風呂が疲れをとってくれる。交替浴できちんと疲労を抜く。筋肉をマッサージしながら、ストレッチしながら湯船でプカプカ。その後、温かいココアで少し栄養補給。

そしてご飯。おすすめを聞いたら、ナムル、もずく酢と炒め物、そして大盛りご飯とビールをバババっと注文。ビールを一口。疲れのあまり寝そうになる。踏んばる。ナムルともずく酢を飲むように喉を通す。もう一口ビール。炒め物と肉、白米が到着。何だか高校の合宿を思い出すくらいの量。疲労感も同じくらいだけど。ガツガツと食べる。少し喉につっかえたときにビールで流すのは高校とは違う。そして、ジョッキ半分を残したタイミングで完食。
しばらくグデーっとすると店員さんに「体調悪いですか?」と声をかけられた。「いや、実は...」と口を開くと「信じられない。ノリでもやりません」と言われる。まあ、やった本人もあんな辛いと思ってなかったですからねえ。しかし、サービスでアイスをいただいた。こちらも紅いものアイス。美味しい。たらふくご飯を食べ、ビールも飲み、デザートもいただいて。気持ちいい疲労感のなか、お腹も心も満たされてお勘定してベッドに戻った。



古宇利島で食べて紅芋とココナッツミルクのアイス。美味。