「成績も優秀でした」卒業式で、担当教官にそう声をかけられた。
3.11を経験して以来、世の中には僕と変わらないけど、一瞬のできごとで大学に通う機会をもぎ取られた人が多くいるのだと思って生きてきた。偽善ではなく、それくらいあの地震・津波・原発事故の3つが共なって起きたあの日、そう強く思った。2011年4月に入学予定だった人がどれだけいたのだろうか、そう思いを馳せた。
それもあって、僕の勉強しようという決意は強くなった。もちろん、僕よりも本を読み、研究に没頭し優秀卒業論文を書いている人を僕は知っている。だけど、でなくても良い補講にでかけ、こつこつと自分の知らないことを頭の中に詰め込んで、整理し議論をしてきた。
もちろん、毎回の授業が充実していたとは言えない。「こんな授業を...」そう思ったこともあった。けれど、改善してほしい、僕の次の人が同じ感想をもたないように。そう思って授業改善のアンケートも出していた。
読書家の父を見てきた僕は、サッカー以外のことは知らないことが多すぎると大学に入る前から自覚していた。だから、自分の関心を、知見を広げたくて本当にいろいろな授業を履修していった。学びへの欲は尽きなくなり、「この前別の講義の内容と関連はあるのかなあ」などと疑問がわけば質問をしひとつひとつ消化をしていった。 お受験のための勉強はなんて陳腐なものか、学び本来は楽しいとものだと教わった。いろいろな本を読み漁り、先生へのアクセス、分野を超える軽やかさのあるSFCだから、議論をふっかけることができた。
(PRONTOのまわしものではありません)
「大学時代は人生最後の休みだと思って、一生懸命遊びなさい」
と誰かに言われた。だけど、遊ぶのならば学費に費やされるお金を元手に世界一周でもすればいいと思う。学生だからできないことは、やっぱり学校「で」学ぶことにあると思っている。図書館にはあらゆる分野の本やデジタルの資料、その第一線の研究者(そうじゃない人も多くいますが...)、勉強以外でチャレンジをできる場、そして著名人へのアクセス。
学生のうちに会っていなかったら、お目にかかることもできなかったであろう人と会えるのは、なりたい自分の幅を広げる意味でも、そして自分の未熟さを理解する上でもとても大切なことだったと思う。
人という点で言えば、変な人に囲まれたことは、自分が自分らしくいる勇気をもてたし、何よりお互いに協力し合って、何かを創り上げる経験に繋がった。この4年間で多くの仲間を得て、これから旅立って、自分が辛いときには「アイツが頑張っているんだから」と、相手が悩んでいるときには手を差し伸べられる、この先の人生がとても楽しみだ。
正直、日本の学校は海外の人の話を聞いていてフレキシブルではないし、サポーティブでもないと思う。それは今の日本では仕方ないことだと思う。多くの学生がそれを期待していないから。学校にいかなくても学生にとってメリットはないと考えられているから。
だけど、それでもあれだけ貴重な機会・情報が溢れた環境はなかなかないと思うし、あのような機会を逃している学生は本当にもったいないと思う。僕は、たくさん先生にお世話になった。時給換算したらいくらになることやら。。本当にお世話になりました
慶應に、SFCに入学ができてよかった。いつの間にか、アントレプレナー、3Dプリンター、残留などというワードを使うようになり、世間のウィンドウズの多さに驚くようになった。僕もSFCという場に気付いたら馴染んでいた。雨の日の臭い、芝生のついた背中、授業中のパソコンを打つ音、そして残留明けの美しい朝日。ひとつひとつが鮮明に思いだされるほどに僕は、SFCが好きだし卒業できたことを誇りに思う。
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