2013年11月24日日曜日

六本木とマンハッタン

この間、六本木のミッドタウンにいってきました。
クリスマスイルミネーションが点灯し、カップルだけでなく家族連れ、個人の方々も足を止めて観覧していました。

そうやって人びとの流れがゆっくりになる一方で車の交通に関しては落ち着きをみせない。タクシーをはじめとするその他の車のエンジン音やスピードをみていて、「はて、どこかで似た光景を見たな」と思ったときふっと思いだしたのがマンハッタンの光景でした。

マンハッタンに行ったことのある人はわかると思いますが、とにかく運転が荒い。だって、タクシー運転手は普通に電話しながら運転したりしてますから....。
それに少し、前が詰まったらクラクションを鳴らしたり横に逸れて前に行こうとしたりと、日本から行った人がみると危険を感じるかと思います。

それに、一気に彼らはスピードを上げるのです。
(※写真はマンハッタンから中心から離れたグッゲンハイム美術館の近く)

その危機感をミッドタウンそばの交差点で少し感じたのであります。クラクションは鳴らさないけれど、そのスピードの上げ方や運転経路をみてマンハッタンを思いだしたのです。

お互いにぎやかだけれど、マンハッタンに比べて静かで綺麗であり、よりエレガントな六本木。だけど、このような一面があることを少し残念だと感じると同時に、懐かしさを覚えました。


六本木もイルミネーションは綺麗だけれど、マンハッタンも負けないくらい綺麗なのだろうと思う。いつかクリスマスの時期にまた訪れたいなと思わせてくれました。

2013年11月19日火曜日

リーダーシップとマネジメント

大学でグループワークをしていると、安易に「リーダー」という言葉を使う人がいるけれど、「全部をやってくれる人」という意味で使っていないかと疑問に思う。

皆さんは、プロジェクトのマネジメントをしている人をみると「仕切り役だなぁ」とか「リーダーシップがあるなぁ」と思うことがありませんか?


しかし、最近強く思うのは

Leadership is different from management. 

ということです。

リーダーとマネジメントする人は根本的にやることや性質が違うと思うのです。

リーダーは魅力的でかつ大きな絵を描ける人であり、マネジャーは組織の限られた資源をフル活用してその絵を現実のものにする人

というような違いがあると思います。もちろんリーダーもその戦略の策定や実行にも関わるでしょうが、リーダーのあるべき姿は誰かの心に刺さる絵を描ききることじゃないかなぁ。その誰かは、まずはチームそして未来の第三者、つまり顧客。

どんなに熱意があって、言葉が上手くても魅力的でないものには人はついていかない。その人が何をしたいのか・成し遂げたいのかというビジョン(=絵)が明確かどうかというのは非常に大切なことです。


一番はじめの疑問に戻ると、多くの人がリーダーシップとマネジメントが一緒だと思っているということです。ぶっちゃけて言うとリーダーは右腕(優秀なマネージャ)やチームメイトがいないと、もはやリーダーではないのです。

あなたは、「あの人はリーダーだ」と思うと同時に「彼/彼女がやってくれるだろう」と何もしない気になっていないだろうか?チームの一員としての役割を放棄しようとしていないだろうか?
もし、あなたがそう思うなら、もはやそのチームは崩壊へ向かっていくと思う。


また、「あの人がやってくれる」と思った瞬間にあなたの存在価値はなくなっていくと思うので注意してもらいたい。そう思ってからチームに居続けるとリーダーにとっては非常に邪魔だと思われる可能性がでてくる。邪魔だと思われる前に、すぐさまチームを去るべきで、去ればあなたは時間を自由に使える。チームを去ったという少しの罪悪感だけで、他人への迷惑を最小限にし、自分の時間を確保すべきだと思います。

つまり、自分のスタンスを示すということです。

「コミットする/しない」

仮にチームを去ってもこの意思表示が出来る限りのコミットメントになるはずです。

2013年11月10日日曜日

お世話になった組織とおわかれすること

久々に更新。最近、書きたいことはいろいろあったのだけれど落ち着いて書く時間がなかったりしたので、下書きばかりが増えてしまいました。

来年に所属している組織を離れることが決まった。
組織と書くとおおげさだけれども、バイトだって何だっていい。

自分はもともとコミットメントがしないのならやらないという考えの人間なので、「バイトやめちゃったー」みたいなのは感覚的によくわからない。自分がそれなりにコミットメントをしてきた組織だし、お世話になったと感じるからこそ、こういうポストをしようと思っているのだと思います。


よく留学した方が良く口にするのは「第二の故郷」という言葉です。

そこで感じた風景、におい、思い
そこでできた仲間や家族

自分がそこにいたんだという証明を残せたこと、自分がそこにいつか立ち寄りたい・帰りたいという思いが芽生えるのでしょう。どこか、今と変わらないところと同時に変わることを淡く期待して。

ボクは、来年離れる組織では本当にお世話になったし、多くのことをチャレンジし学ばさせてもらいました。だからこそ、第二の故郷とまでは言わないけれども「辞める」ではなく、「卒業する」という言葉を使いたい。

そつ‐ぎょう【卒業】‐ゲフ
〘名〙スル
学校の全課程を学び終えること。
ある段階や時期を通り過ぎること。
(from 大辞泉)

ここでいう「卒業」は後者の意味が強いとかもしれません。ここで学ぶことやすべきことはひとまず修了したなという意味だと思う。
「次にいきなさい」というメッセージかもしれない。

いつまでもそこにはいれないし、いちゃいけない。仮に長くいれたとしても、やっぱりいつかはお別れを言って新たなスタートをした方が良いと思う。

次にチャレンジしたいことに気付けた
その直感が卒業しようと思った決め手かなと今になって思う。
新たなことにチャレンジしたいという思いは、自分がその環境でできなかったことをできるようにしたから、あるいは、できないことに気付けたから芽生えるものではないだろうか。
たくさん失敗することができなければこういうことにはならない。Try and Errorできる環境であったことをとても嬉しく思う。


卒業までは残り数ヶ月になった。感謝しながら、残りのできる限りのことをしたい。