2015年1月26日月曜日

Sento is the best

卒論を終え、燃え尽き感の残る中次の作業があるのに疲れがでて体調が優れなかったのもあり移れなかった。
何とかして、心身ともに切り替えなければと、高校の同級生の家族がやっている銭湯へ。
これが最高だった。

卒論提出前の一週間は風呂もまともに入れなかったので、風呂にぷかぷかするのが気持ちよすぎた。サウナの水風呂の往復を何回かすると、汗が噴き出すと同時に体から何かが抜けて行くのがわかった。
電気風呂に入って遊んだり、ジャグジーでぼぼぼぼぼっていう気分になった。他のことを一切考えずにリラックスできた。

その後、風呂からでて店番をしている友人のお母さんと談笑。風呂上がりのビールが手伝って、長話をしてしまった。そこで、またこれからのことを頑張ってと背中を押され、「またきなね」と、暖かい言葉をもらう。二本目の缶を空けてグビッと飲んで退散。

最高の気分転換、最高の癒しの場だった。


また、落ち着いたら遊びにいかせてもらおう。
遠くから、僕の訪問を親に知らせておいてくれた友人にも感謝。

2015年1月23日金曜日

正念場はもうちょっと

先日、1/20に卒業論文を提出した。23:59の締切のところ、23:30頃まで先生に分からない作業を聞きながら提出をした。文字通りギリギリだ。



提出の一週間前、僕は卒業させられないよこのままじゃ、と言われていた。途方にくれ、どうしようか悩んでいるときに先生がくれたサジェスチョンは大きな大きな助けだったし、もう一人の先生からは、「ここでやらなくて、どうすんねん」というような叱咤をもらった。

時間との勝負の中、そこからは文字通り寝てない。気が張っているからか昼寝はできない。このことを友人に言うと、


まるで、工場。一度止めるともう一回再運転させるコストが膨大でなかなか止められないのね。


上手いこと言ったなと思う。まさにその通りで寝ている余裕がどこにもなかった。だけど、あれだけ面白くないと感じていた研究が楽しく感じたのは、提出の三日前。データと改めて向き合っているときに、とても興奮したのを覚えている。それがエネルギーで、先生にもう一度修正を見てもらえたのは提出の1日前。実質、ほとんど寝ずに三日で1万5千字を書いているので、文章はところどころ酷い。しかも、空欄もある。

だけど、先生とのMTGを終えて先生の心配が消えた様子が伝わってきた。内容的には、大丈夫そうだ。先生に、「三日ではじめて研究が楽しいものだとおもいました」そう伝えると、「もう少しはやく気付いていればな」と笑いながら言われた。

そこからは、先生とディスカッションした部分を練り直す。たった、10文字程度の言葉がでてこない。クリエイティビティが働かない。そのままその一日が過ぎる。


当日。学校に泊まっていたのにも関わらずシャンプーなどを忘れた僕は、朝飯とそれらを求めにコンビニへ。大きいボトルのしか見当たらない。店員のおばちゃんに聞くと、それしかなさそうだ。それだったら、もはやシャワー浴びるの止めようかと考えていると、旅行用の身にボトルを見つけた。こっそりあったのだ。

それを手にレジへ。おばちゃんに「あったよ」と伝えると、「どこか行くのかい?」

卒論をやりに学校に泊まっていたんだけど、シャワー浴びれなくて。

会計を終えても、おばちゃんは袋を渡さない。レジ横の棚にあるハッシュドポテトをガサゴソし、それをビニール袋へ。

「いや、頼んでないんだけど」と言いかけたそのとき、
おばちゃんが「これ、私からのプレゼント。頑張ってね!」

そのとき、とてつもなく暖かい気持ちになったのは言うまでもない。べつに、作業を手伝ってもらったりした訳ではないけれど、これで卒論だせそうだ、そんな予感がした。


11時までその日提出の別の課題をパッと終わらせて卒論へ。それでもやっぱり言葉がでない。10文字ちょっとがでないがために、前に進めない。

キャンパス内で会う人会う人が声をかけてくれた。頑張って!その言葉は背中を押す。


11時。授業に向かうと先生が、終わったか?終わってない。次の授業がスピーキングのテスト。眠いし、頭が回らないけれどなんとかなった(と思ってる)。

その後、Ph.D.の人とディスカッションし、進む。これであとは書くだけだ。先生にも進捗を伝える。そうすると、提出前日にお会いしていないほうの先生から、顔が違うわね、と言われる。ここからが時間との勝負。時計は止まらない。

だけど、直前までキーボードを打ちまくる。10時、10時半、やべーいけっかな。

11時。ほぼ終わった。だけど、分からない部分がある。直前に、心配をしてメッセージをくれた先生が、まだキャンパスにいることを祈って電話する。いる!

ここから、先生にわからない部分を聞いて、とりあえずアップロードする。提出ページは、タイトル、アブスト、キーワードと入れないといけない。時間がかかる。


アップできた。提出した瞬間、でた一言が「先生、オレこんなカッコ悪いの出しちゃいました」だった。

もっともっとやっていたかった、その思いが拭えない。先生は理解を示した。Ph.D.の人でも博士論文が恥ずかしくてたまらなく感じる人がいるらしい。何か分かる気がした。期限がないと終わらないけれど、こんなんじゃない、そういう思いが頭に残った。

先生に、「研究楽しかったです。ありがとうございました。」そう伝えると、先生からは「楽しいでしょ?」と言われた。研究者はこの楽しさを知っているから続けているのだとそのとき悟った。



これが終わって三日。寝ていなかった反動からか、体が異常な疲れをだしてる。とにかく眠い。そして体調が良くない。卒論は提出したけど、まだやらないといけないことは残っている。一月中は勝負。これが終わったら、全力で寝る。

2015年1月9日金曜日

リミットは約10日

いよいよ1/20の卒論提出日まで約10日になった。
残りの期間でどれだけ粘れるか。それまではブログは書けないけど、頑張ろう。
やったる。

2015年1月3日土曜日

抱負。

明けましておめでとうございます!


先日、大晦日に去年のラストの記事をと思って途中まで書いていたのに書ききれず年が明けてしまいました。途中で、メモ用紙が必要になり近くのスーパーまで。

年末なのに無事に方眼紙のメモを買えてホッとしたところ、店を出ようとしたときに久々の出会いが。高校のときの先生にばったり会いました。卒業後もちょくちょく連絡を取っていて、特に小論文と恋愛で悩んだ時は本当にお世話になっています。

ただ、今年はとてもお忙しそうにされていたので、なかなか会うことが出来ていなかったのです。それで、スーパーの入り口で「久しぶりぃ!」。少しお茶をしていたらあっという間に年越しに。

そんな感じで、ブログはアップできなかったのです。。

そのときに久々に先生とはお互いの近況をキャッチアップしましたが、あいかわらず元気にやっているそうでホッとした。現場でも奮闘しているようで、オーバーワークには気をつけてほしい。

僕は去年の夏頃から取り組み、また悩みに悩んでいたことを伝えた。
ずっと悶々としていたけれど、スパッと視界を切り裂くかのような一言が返ってきた。


「困ったときに、そうやって助けてくれる人をもてていることに誇りをもっていい。そういう仲間のいる人はなかなかいないんだから。」



僕はこの去年一年、何かを自分1人で乗り越えたいともがいてきました。論文も進路も。考えて考えて。結果、悔しいけど1人でできることがなんて小さいことか気付かされる一年でした。やってもやっても、見えてくるのは自分の不完全さ。周りから自分の足りないことを学ぶ日々。

自分の未熟さ、頭の悪さいろいろな負の気持ちが自分に降り掛かってきました。結局自分でも頭を使ったけれど、やっぱり仲間の力が必要なのは変わらなかった。自分の未熟さを曝しながら頭を下げて、自分のやりたいことを実現するために教えてほしい、手伝ってほしいと。何度も情けなくなって涙を流した。





クリスマス

世は暖かいムードに包まれていることおかまいなしに、学校に行った。だけど何度もプレッシャーでトイレに行った。実はこのとき、僕はある理由で人と揉めていた。自分に非がある。だけど、自分にもどうしても曲げられないことがあった。これが原因で窮地に陥った。

ああ、今回は本当にダメかもしれないな。おわった、そう感じた。
だけどやっぱり諦められないものがそこにはあった。電話を取る。相手は忙しい人だ。
関係ない、自分ができる精一杯をやるんだ。


詳しいことは省く。けど、その人のサポートがなければ道は閉ざされていたと思う。最大限の感謝を綴り、伝えた。その人からの返信を読んで言葉を失った。

「私は頑張る人を応援します。諦めなかった君の姿勢があったこそです。」


イベント運営をしていた時もそうだった。本番数日前、通訳が2人足りない。知り合いの中にあてはない。どうする。諦めずに電話をかけまくった。救世主は海外にいる知り合いだった。Skypeで事情を説明し、通訳を紹介してもらうことができた。


僕は、「周りを頼り過ぎだ」「何も自分でしていない」と言われたことがコンプレックスだった。それを払拭する一心でこの一年を過ごした。だけど、僕が何もしてこなかった訳じゃないのでは。そうやって助けをもらえるように信頼を勝ち取ってきた「何か」があるはずだ。何もせずおんぶに抱っこだった訳じゃねえだろ。先生からの一言でそう思った。いや、そう信じたい。





大晦日の日、先生から目を見て言われた。

「私が信頼できるのは教え子のなかでも数えるほど。よく話したな、っていう子はいるけど信頼ができる教え子はあなたを含めそんなにいない」

こうやって言ってもらえる喜びを胸にしまう。どうやって貢献をするか、そんなことを考える毎日。今年は僕がみんなを救う番だ。それが今年の抱負。