2014年9月27日土曜日

新聞を読む

8月のある日から新聞を毎日読むようになった。

しん‐ぶん【新聞】
社会の出来事の報道や論評を、広い読者を対象に伝達するための定期刊行物。日刊が多いが、週刊•旬刊•月刊などもある。
「新聞紙(しんぶんがみ•しんぶんし)」の略。「―で包む」
新しく聞いた話。新しい話題。ニュース。
「当時流行の訳書を読み世間に奔走して内外の―を聞き」福沢学問のすゝめ

大辞泉より

読むようになったきっかけは、社会は変わっていないようで毎日のように急激に変化していると新聞をざっと眺めたときに感じたからだ。いつの間にか、スコットランドが独立するしないとなり、ソニーは無配当を決めるなど、時間は決して止まらず絶えず変化するのだとゾッとした。当時の自分は、自分のことだけに矢印が向いていて時間が1人止まったような気がしていた。だけど、新聞を開いたときに「このままではダメだ、社会に追いていかれる」という恐怖感が芽生えた。動き出さないと、と思った。

読み始めた理由は、社会の変化を刺激に自分を前に進めるため。前に進まなければ自分は変わらない。そう思ってから新聞を読むのは苦じゃなくなった。

もちろん、一字一句全てに目を通す訳じゃない。自分の関心のあるもの、新しくニュースになったものを中心に読んでいる。だけれど、毎日コツコツ続けるだけで格段に情報量が増える。インプットがあればアウトプットがでる。考えも湧く。

新聞を読み始めてから一気にエンジンがかかった。

小さい頃、特に夏休みなんてあっという間に時間が過ぎたように感じられていた。もちろん、サッカーしかしてなかった自分にとっては毎日楽しい時間「でしか」なかったわけで。
新聞を読む前、一日一日が長く早く過ぎ去ってくれと思っていた。こんな辛い日々早く終わってしまえと。だけど、そういうときは何もしていないから、手をつけないといけない事象に手遅れになりがちて、矛盾するようだけれど「うわ」もう終わったみたいに感じたときもある。

社会は止まらない。毎日あれだけ記事にすることがあるんだ。自分も止まっちゃ行けないんだ。そう思ったら毎日が充実しだした。確かに忙しくはあるけれど、前のような気持ちじゃない。楽しい。ワクワクするんだ。

できない・分からないことはことは、恥を忍んで「できない」「わからない」と正直に打ち明ける様になった。そして、こんなのもできないんですけど、できるようになりたいので助言を下さいと同級生にも言う。余計なプライドは捨て、ささっとできないことやわからないことは放置せずにすぐにとっかかる。進め、進め。

新聞の流れに負けず、むしろ流れを創れるような人になりたい。

2014年9月24日水曜日

教え上手

昨日、友人にライティングの問題を見てもらった。

あぁ、こういえばいいのかぁ
自然な文章になってきたぞぉ

という感覚で。添削してもらってとても感動した。また、自分が何かが足りない・おかしいと思ったことは全部指摘してくれた。そうこうするうちに、何か普段読んでいるような「英語」に近づいていく感じだった。

みるみるうちにキレイに、ピカピカになった。

ここはどういうことが言いたいの?って分からないことは分からないときちんと伝えてくれるので、こう書きたかったんだけどっていうと汲み取ってくれる。

そして、たまに出る「ここはいい文章!」という誉め言葉がやる気を上げる。笑
生徒のモチベーションを上げるのはとても難しいものですよね。

赤でいっぱいになったけど、自分の進歩も感じて。ネイティブにとっては不自然な表現が、全てではないけど自分もちょっと違うと思う部分がけっこうあった。それって僕が今まである程度ちゃんとした英語に触れてきたことも示しているのかなと思う。

イヤな顔せず、赤ペンを入れてくれた友人に感謝!

2014年9月18日木曜日

Japanese ランクインならず

CNNをみていたら、面白い記事が出てきた。UKはスコットランドの独立問題があるし、アメリカは中東との問題があったりSeriousな話題が多い中でユニークな記事。

Are these the world's sexiest accent?

もっともセクシーなアクセントは何かというもの。選ばれた13は以下の通り(詳しくは記事を参照して下さい)

  1. Argentine
  2. Thai
  3. Trinidadian
  4. Brazilian Portuguese
  5. U.S Southern 
  6. Scottish
  7. Irish
  8. Nigerian
  9. Queen's English
  10. Czech
  11. Spanish
  12. French
  13. Italian
ラテン語のフランス語、イタリア語あたりがランクインしているのは理解できる。けど、Scottish とか Queen's とか絶対セクシーじゃないと思うのは僕だけでしょうか。あんなにカクカクしてるのに、セクシーな要素はどこにもないのでは。。



日本語はたぶん、標準語じゃなくて関西弁になったら確実にランクインすると思うんだけどなぁ。CNNさんもScottishとかIrishを入れるなら関西弁も是非考慮してくれたら良かったのに。


この動画観てて笑ってしまった。笑

繋がり

はじめて、こんな思いを覚えたのは20歳のときに初めて行ったアメリカから帰ってくるときだと思う。

繋がる人とは繋がっている。どこに行っても、いつになっても。

このとき、なぜだろう。Twitterからはじまった縁でいきなりの訪問を許してくれた懐の深さに感激したからか、帰りの晩涙しながら熱く語ったからか。たぶん、その両方だと思う。そのときに初めて、この人とは住む国も違うけれどこれからも繋がっている気がする。また会うな、と思った。そういう人とは今でも年に会うのは何回かだ。それにあったときに一緒にいる時間は長くない。それでもまた会いたいと思う縁。


僕は、それ以降「この人とは繋がっているな」と感じた人は、その出会いから別れまでの期間の長短は関係なく今も仲良くさせてもらっている。この人とは刺激がもらえるな、自分の素をありのまま受け入れてくれるな、そんなことを感じた人とは何より自分がやりとりをしたい。



近くにいるけれど色んな意味で今は会えないっていうこともある。だけど大切な存在でまたいつか会えたらなって。
最近、今まで理解できなかった複雑な気持ちが少しだけわかるようになった。例えば、お互いのためを思っての別れという、離婚する人たちがたまに使う表現。なんだそれ、ただ上手くいかなかっただけでしょって思ってた。だけど今なら何となくわかる。ちゃんと愛しあってるのに、それでも一緒にいたら前には進めない、だから別の道を歩む決断をするっていう感覚が。別れたら寂しさがあるけれど、少しだけ心にゆとりができたような不思議な感覚。こういうことって2人にしか理解しきれないもので、周りからは理解がしにくいのだと思う。しかし、そういうことは確かにあるんだって思った。

話がそれた。


出会いと別れは人を強くしそしてより心を豊かにしてくれる。できた縁はどれだけその繋がりを大切にしたいか、その思いに全てよると思う。「またいつか会いたい」、それだけに集約されると思う。そう心に留めておけば出会ったときは笑顔になれる。

またいつか出会うときを楽しみにしておく、シンプルなんじゃないかな。

2014年9月16日火曜日

吉野作造 人材ネットワーク事業

もう2週間前のことになってしまった。9/5-7にかけて吉野作造記念館が主催する勉強会に参加してきました。教員の方が6名に、学生約20人が参加。大学もばらばらで、駒沢大学、青山学院大学、東北大学、慶應大学、京都大学から参加されてました。

テーマは「近代日本の政治のリーダーシップ」というものでした。これは、おかど違いじゃ。。と思いつつ、せっかく先生にお声がけいただいたので参加してきました。ちょうどこの時に成績も出て、その先生の授業ではちゃんとAだったので感謝を伝えておきました。
しかし、あの拙い英語で良くAくれたな、、と涙。

しかし、今回は3つのレクチャーを受けました。失敗の本質を書かれた戸部良一先生、手嶋泰伸先生、そして我らが阿川先生が担当しました。
 戸部さんは、四人の日本の代表的リーダー、東条英機、浜口雄幸、吉田茂、中曽根康弘を挙げられて彼らの特徴を紹介され、彼らの下した意思決定の結果、さらにはそのプロセスの評価をどうするかということについての話だった。

例えば、東条はA級戦犯として知られているけれども、彼が戦争のなかで行ったことその結果を見るのだけではなく、どうしてそういうようなことをするに至ったのかということを明らかにすることも必要で、東条は当時、天皇の意向を反映しようと努力した跡があるというスタンスだったそうだ。これは戦争突入の重圧に堪えるため、天皇にという存在に依存していたのではないかということを考えられていた。

だけど、個人としてはそれを明らかにすることも大事だけれど、その結果が失敗だったときにどうリーダーとして責任を取っていくのかということにも焦点をあてれば議論はより前向きになるんじゃないかと思った。日本って何か起こると、誤って辞めれば良い、記者会見して誤って accountability を守っていると思っているけど違うと思う。問題を収拾するのにそれを起こした張本人、あるいは責任のある身として、出来る限り問題解決に取り組むということも出来ると思う。
 手嶋先生からは、吉野作造の民本主義について話された。当時、吉野は意思決定機関に貴族院、枢密院、軍部が入ることに反対でより民意が反映されるかたちの仕組みが重要だと感じていたよう。あぁ、普通選挙も含めこのときに大きく日本は動いたのだと思うと同時に少し悲しくなった。

このときにされていた議論として「民衆の能力の向上」というものが挙げられていたよう。選挙をするにあたって、「まともな」議員を選ぶのに民衆の当時の教養で可能なのかと。まぁ、当時は政策の善し悪しは判断できなくてもその人の人徳が測れるくらいには、民衆も「まとも」だろうと考えられていた。また、この教養という点にはそもそも選挙に行くのかということも含まれていたそう。。

この話を聞いて日本って当時から進歩してるのか、と今の選挙率や泣いちゃった議員さんのことを考えて頭を抱えたくなった。当時の吉野の問題意識が先進的だったと言ってしまえばそれはそれでなのだが。


阿川先生の話は、リーダーはどう語るべきかということを。The Civil Warのときのリンカーンのゲティスバーグ演説を紹介すると同時に在米日本大使館にお勤めの時代のエピソードも話してくれた。ゲティスバーク演説は300語弱という短いスピーチだが、歴史に残るほど素晴らしく今の大統領もその演説を取入れるほどらしい。無知でごめんなさい。

阿川先生も素晴らしいユーモアをお持ちだけれど、アメリカでは特にショートスピーチでどれくらい教養あるユーモアを含んだスピーチを言えるかということが大事だそう。当時の加藤大使は、さくら祭りのようなイベントで、「この桜が松だったら大変だった」というようなことを言って笑いを誘っていたらしい。


そして、夜はこのような豪華なメンバーで懇親会。皆で机を囲んでワイワイお話をしました。特に駒沢大学の村井良太先生と膝をついて話をさせて頂いた。国レベルの政策はインパクトが大きい。その分、失敗した時の責任が大きいから導入には慎重になる。だけど、何かをして上手くいかなかったコストよりも、もしかしたらやらないコストのほうが高くつく可能性もあるのではないか、などと議論した。こんな頭のいい方々とお話できて贅沢な時間でした。




この勉強会を振返る上で欠かせないのがそのお散歩。まぁただの田舎と言えばそれだけなのだけれど、東京と違って時の流れがゆったりしている。空が広い。雲は手を伸ばせば届くかもしれないと思った。朝、朝食前に昼食後に、そしてレクチャー後に宿舎の周りを歩いた。こういうところに身を置くと、東京のごった返す様子が信じられない。あんなに何で人がいるのだろう。

新たな友人、新たな知見が得られるだけでなく、自分自身とても心の羽根を伸ばすことのできた旅になりました。改めて阿川先生には感謝。



2014年9月12日金曜日

石巻のにおい

先週の木曜日に石巻にて一泊してきた。その翌日から参加していた吉野作造記念館による勉強会に参加することになっていたので、ちょうどいいタイミングだと思い前日に宮城入りした。勉強会のことはまた今度。

石巻を降りたときに雨が降りそうな曇りだけど何とか天気はもってくれた。ひとまず日和見山公園を目指して歩く。ここは当時、避難所になっていたのだと思うけれど、標高が高く海がよく見える。
しかし、ここに行くまでに被害の後は隠れずに見えてくる。駅から少し歩いたところにある商店街の辺り、この辺にも津波が来たことが分かる。
また、震災からの復興を願ってのふれあい商店街ができていた。このにじんだ旗が胸を打つ。ここではお酒なども売っていた様に思う。お世辞にも人が混み合っているとは言えない。
 震災から3年半経った今でもこうして、融資の窓口が残る。商店街とその周辺にあったお店も被害にあってこうしてまだまだ支援は続けられている。ちなみに、この窓口近くで津波の高さは2mだったそう。この高さは建物の一階分に相当する。
 ようやく日和見山公園に着く海岸線がよく見える。以下の写真2つは震災後3年半経ったものと、震災前の写真。この日はあいにく曇りだったので写真の明るさは違うけれど、まだまだ震災前の様子には戻っていない。建物の数が明らかに少ない。「震災前の様子に戻っていない」と書いたけれど、実際は戻らないのかもしれない。恐怖で再び住もうという人は全員ではないのだと思う。


 ここから再び駅の方面へ戻る。そこでもところどころ震災の影響が見えてくる。道路はまだ完全に回復していない。こういう看板を至る所で見かける訳ではない。だけど、やっぱり僕みたいに外から来た人間にとっては印象深い。まだなんだなと。
 ここはより川に近いところにあった建物。この辺りは、記憶が間違っていなければ津波の高さは7mにも及んだそうだ。地震の影響とダブルでダメージを受けた様子。

 こうやって書くとまだまだ復興と思われるかもしれない。たしかに、復興自体はまだまだ。だけど、少しずつだけど確実に変化はしていて。僕みたいなよそ者でも、東京では感じられない温かさに触れられた。道を聞けば必ず教えてくれたし、僕が大きな荷物を持っていたからか、「頑張ってな!」と声をかけてくれた。

そして夜はホテルの受付の方に教えてもらっておいしい刺身を食べた。サーモンなんて甘くて驚いた。実はこのお店も津波の被害にあって移られたところだった。だけど、お客さんも店員さんも楽しそうにしていた。心の傷はあるのだと思うから、そんな心の奥のことは聞かない。けれど、やっぱり笑顔だった。
震災が起きてから初めて福島より北の被災地に訪れた。川、海が近いからかやっぱり陸では感じないにおいがした。ボランティアなどもしていないし、現地の人には軽々しくあれこれ聞いたりとかはできない。でも、まだ訪れていない人は一度でも自分の目で見られると良いかと思います。

2014年9月1日月曜日

少子高齢化と出生率と

今朝の日経の朝刊、経済教室に「少子高齢化を考える」という記事があった。

これを見ると、

先進国の中で出生率の高い国は米国、フランス、イギリスなど。
先進国の中で出生率の低い国は日本、韓国、ロシア、ルーマニアなど。

前者と後者の特徴で-19歳までと20-24歳の間の出生率の違いが大きい。前者は若い間に子どもを産んでしまう。その一方で、後者は若いうちに子どもを産まない。さらにロシアやルーマニアなどの旧共産圏では35歳以上の出生率が日本や韓国に比べて低いことが特徴だ。

日本ができる対策として、若いうちに安心して子どもを産める体制を整えること、と書かれていた。たしかに遠くない未来に若い年代の出生率は上がる「かも」しれない。今は多くの女性が大学に行き働き、キャリアを築く時代に向かっている。管理職の女性比率を30%くらいにしたいと政府も思っている。

実際に活躍されている女性が輝く社会は素晴らしい。女性が輝くというよりも、性別に関わらずという表現のほうが本質に近いかもしれないけれど。


だけど、その一方でこれから若い年代の働く窓口は男女に関わらず狭まっていくと思う。
少子化があるので大学生の絶対数が少なくなる、雇用競争で日本の学生が負けることを考えると日本人の若年層の失業率は上がる可能性は十分あるように思う。

そうなったとき男女ともに職に就くことができない人たちはどうするのか。その中には、若くして結婚したいという考えも浮かぶかもしれない。そうなったときに若い年代の出生率は上がるかもしれない。しかし、そこだけ上がっても経済レベルが上昇しない限り子どもの数は増えないと思う。若年層の出産が増えても問題解決しないのでは。。

具体的な数字をみていないけれど、結局経済の成長性は少子高齢化を解きほどくのにかかせないキーになるのだと思う。やっぱりお金かかりますし、子育て。

解決策の見えるまでの道のりは長い。