最近、進路の行方がなかなか決まらなかった友人に会った。無事に、しかも素晴らしい新天地を得た姿は本当に眩しいし友人として誇らしい。
純粋にスゴいなと思う。あんなに悩んでいたのがウソみたいに。気を使って結果を聞けず心配していたのでホッとした。しかも比較的近くにお互いいるので大変な時は励まし合いたい。
その友人とランチ。頼んだお皿が目の前に運ばれてきたとき、久しく聞いていなかった名前を友人の口から聞いた。
そこからあれこれ言われたり聞かれたりしたけれど、正直に人に落ち着いて会えるようになったのも5月に入ってからだったし、それからもインターンなどで流れが早く、落ち着いてその人との関係性を考える時間はなかった。
でも、自身をコントロールできなかった当時を振り返れば仕方ないと思う半面、当時の関係性をクリアに分析できている自分がいた。クライシスとまで言えるほどにズタボロだったボクの精神状態。精神状態が落ち着いた2月いっぱいまではとにかくキツかった。
でも、それを抜きにしても、自身のコアの価値観は今でも変わっていない。それを今すぐ変えられるとも思わない。そこには善悪はないし、間違ってもいないと思う。「それはそれ」なんだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。
でも、それを抜きにしても、自身のコアの価値観は今でも変わっていない。それを今すぐ変えられるとも思わない。そこには善悪はないし、間違ってもいないと思う。「それはそれ」なんだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。
やっぱり人との関係は難しい。こういう少し拗れてしまった関係は、時間が解決してくれるのか、そもそも自身がしたいと思っているのかも今は良くわからない。整理はできているようでまだできていないのかもしれない。でも、こういうことは考えすぎてもしょうがないし、「なるようになる」しかないのだろうなあ。
でも、最近昔の友人に会うと、「彼女、彼はどうしているのか」 という話題になる。せっかくfacebookをはじめとしたSNSがあるのにそこに出てくる情報は一握りで、ちゃんと対面で会わないとダメだな、そう思った。好き嫌いより興味ないのが一番悲しい関係性だから
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