ボクは男子校の出身である。だから、同性愛者の人を人生で初めて見たのはそこでだ。その頃の僕は、偏見があって同性愛という存在そのものがちっとも良く分かっていなかった。少なからず、遠巻きにその様子が「異常」であるかのような視線で僕はそのカップルを見ていたはずだ。この世のものじゃないかのように。
それから10年弱経つ今。イギリスに来て、ゲイの友人ができた。彼らカップルの様子を見ていて「愛は確かにそこに存在するのだ」そう思った。昔、女の子の顔は好きな男の前だと変わる、そういう投稿をしている。その時書いたような柔らかく、そして優しい表情を二人が僕の前で見せてくれた。そこに、愛はあるのである。
昔の自分は、学校内のカップルを見て、なぜそういう観察ができなかったのだろう。恐らくその二人を見るためのメガネは色づいていて、まっさらな状態で見られなかった。周りの友人の雰囲気?あのカップルと友達になると自分も変な目で見られるかもしれないという、心情。いろんなもので曇っていた。
イギリスに来て、同性愛者である友人たちを目の前に僕は、目の前の二人のその幸せ溢れる雰囲気に包まれると同時に、昔の自分を恥じた。その自分の2つの感情を客観的に見れた時に、僕に同性愛者に対する偏見の目は無くなったと思う。
今まで、どれだけの人をあの色眼鏡で見ていたのだろう。たぶん、知らぬうちに多くの人をすごくすごく傷つけてしまった。人間の視線は、言葉がなくても暴力になることくらい、今の僕はきちんと理解している。でも、これからの僕はそういう偏見なく生きていけるはず。
ボク自身は、同性愛者ではない。だけど、目の前のグラスを傾ける二人が、お互いを心の底から愛している姿を見れば、暖かい気持ちになるし、素敵だなと思う。僕もいつかあんな素敵な関係を築ける人と出会えるだろうか。
Love is blind, complicated, and difficult.
だけど、現実そんな甘くない。
冷静になれば、好きじゃない人がしたら不快に思うような振る舞いでも、好きだという理由で自分のプリンシパルを見失う。気を使わない存在でいるはずなのに、いつの間にか気を使いすぎて疲れてしまう。好きで付き合い始めたはずなのに、別れるときは「もう二度と会いたくない」という心持ちになることもあるかもしれない。はたまた、お互い嫌いではないけれど、これ以上付き合わない方がいいことにふと気づいてしまう時もある。
僕はかなり理性的だし、やっぱりどこかで冷静な自分がいないと僕は不安だから、ブレーキがどこかで作動する。つまんない男、そう思われることもあるかもしれない。
だけど、自分を見失うくらい恋をすることも素敵かもしれないと思うこともなくはない。あまり後先考えずに、好きだという想いに素直に従える人を見て羨ましいと感じる瞬間は確かにある。
国境や国籍、宗教や偏見などを軽々と超えられるような人を目の前で見ると、人間やればなんとかなる。想いは実る。そんなことを感じながら愛についてぼんやり考えふけった。
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