2013年3月27日水曜日

Bye bye NY

2週間ちょっとのトリップも終わり。

あと、3時間くらいで宿泊先を出発する。その前に振り返ってみたい。


ニューヨークは本当に贅沢な街だと思う。ミュージアムやクラシック、綺麗な建物...文化的なものに触れるにはホントに良い街だ。
バカみたいに物価は高い(絶対に東京より高い)のだけれど、こういうものに触れるのに実はあまりお金はかからない。それは、国としてか街としてかはわからないけど、多くの人へ文化に接する機会を作ろうとしているのだと思う。

気持ちいい空に美しい音楽。

セントラルパークの近くの建物

MoMAの行列客をむかえる像

タイムズスクエアは夜でも明るい。ショーでもある。


華やかで、観光客も多く、いろんな言語、アクセントの英語が飛び交っていた。実際にボクも、ミュージアムやギャラリーをまわったりして楽しんだ。

自分の中で足りなかったものに触れていった。綺麗なものをみて感じる力はどんどん強くなっていった。



だけど、NYの腐敗した一面は隠しきれない。

高級ブティック店のドア近くに座るホームレスの人たち。


”We are Homeless, please help”


と段ボールに書いてお金を求める。ぎゅっと胸が痛くなった。

彼ら彼女らは一緒にはいない。だけど、段ボールには We と書いている。

まるで

”私たちのような人はたくさんいるんだよ”

と訴えるように。

ボクは呆然とした。カメラを向けることなんてできない。

日本の渋谷・新宿などでも路上で生活せざるを得ない人たちはいる。だけど、とても「差」を感じたんです。

とても華やかで素晴らしい芸術に触れられる一方で、当たり前のように腐敗がある。

楽しい、充実した滞在ができた一方で、いろいろなことを考えさせてもらいました。


最後に、泊めてくれた友人、たくさん助けてくれたハウスメイトには感謝しながら、帰路への用意をしたいと思う。

ただいま

23日から今日にかけてブラウン大学へ行ってきました。


ここは、去年にボクが初めて海外旅行で訪れた場所。そして、大切な出会いや気付きを与えてくれた場所です。

まだ雪の残るメイングリーン。バケーションで人がいない。

ここでは、友人とディナーをしたり、ハーバードの友人に会いにいったりしていました。新しい友達ができたり充実した3日間でした。

明日、NYから帰国するのに、何故ここに立ち寄ったのか。それは、自分のスイッチをいれたかったから。そして、ここなら入れられると思ったから。

ボクは、テスト終了後になるべくゆっくりしていて
家でぬくぬくしながら映画を観て、眠くなったら寝る、本も睡魔がくるまで楽しんで、というような生活をしていました。

そう、休憩していたんです。あまりにも昨年は忙しかったから。

だけど、留学の準備をしなければいけないし、ちょうど学校の始まるタイミングで切り替えよう!と思ったわけです。


ブラウンやハーバードの友人は、戦ってます。

勉強量がハンパじゃないわけです。

”金曜の夜が来て、たくさん寝られる!!と思ったのもつかの間、月曜がはじまる。これの繰り返しだよ。”

そんな彼らも勉強するのを楽しんでいるんです。やっぱり自分の知的好奇心を満たそうと充実した日々を過ごしているようでした。

ボクは、彼ら彼女らに会ってやっぱり刺激を受けました。


日本に帰ってがんばろう

そう思いました。

ここに着いたとき、「ただいま」という気持ちになりました。去年、7日しかいなかった場所だし、バケーションでみんなには会えなかったけど、仲良くなった友人にも会えた。嬉しかった。

すぐに離れることになって少し寂しいですが、去年できた友人・今年新しくできた友人から

「またね会おう!」

って。泣いちゃうね。

彼ら彼女らに会うときまでに、ボクもさらにがんばるんだと強く感じさせてくれた場所でした。

2013年3月23日土曜日

夢の架け橋

「僕は中学生の時、いじめられていました。」

この記事をまずは読んでほしい。
彼は、ボクの友人でもある。

今は、ミャンマーにいってお腹の調子がずっと悪いそうだ。

彼と出会ったのは、彼がダートマス大学に交換留学していたとき。たまたま同じタイミングでブラウン大学にいったときだった。そこから、彼が帰国してちゃんと会うのに、かなりの時間が経ったがSkypeとかではちょくちょく話をしていて、なぜか仲が良い。


ツイッターで(ツイッターやめる前)、たまたま税所こと、アツが新プロジェクトの募集をしているとみて、すぐ彼に連絡。
気がつくと数日後には面接して参加が決定となってた。

彼は、記事の中で

教育の面白さを多くの人に伝えたい。機会に恵まれない子どもたちにチャンスを与えたい。こんな「夢」をもって就職活動に挑みました。
しかし、いざ就職活動を始めると「夢を追うこと」が「会社を選ぶこと」になっていきました。ブランド力のある会社に入りたい。周りからすごいと言われる会社に入りたい。嫌な自分に近づいていきました。
と言っている。

夢への架け橋をつくりはじめた彼を応援したい。

彼が、橋を架けることで
多くの人が人生という荒波(写真は波ないけど)にさらされながらその橋をみて、「ボクもあの橋を渡りたい」と思える。橋がなければ、みんな渡ろうなんて思えないから。
一種のロールモデルになる。彼の生き方、特に大学生活の過ごし方は普通の日本人からするとハチャメチャかもしれない。でも、とっても素敵で応援したい。
素晴らしい友人をもてて嬉しく思う。

2013年3月22日金曜日

1%と99%の意味

Wall Street にいってきた。

そう、金融危機が起って Occupy Wall Street とデモが起こった場所です。

今は落ち着いていました。

このデモがなぜ起きたのかはリンクをみてください。


実際に訪れて、なぜウォールストリートでデモが起きたのかなんとなく理由がわかった。

ボクが予想していたよりもとても短く小さかったのだ。

ウォールストリートにある金融関連の企業が全てではない。ゴールドマン・サックスは少し離れた場所にある(ただ、とんでもなくデカイ)。

だけど、それでもあまりに大量のお金が、こんな短い通りにある企業によって動いてしまうのなら、みんなが「富裕層上位1%ばかり!」と怒るのもムリないと思った。

実際にボクは、Occupy している方々の様子を生でみたわけではないですが、

(http://edition.cnn.com/2011/10/05/opinion/rushkoff-occupy-wall-street より)

なんとなく、彼ら彼女らの気持ちを察することができたように思う。

1%のインパクトはとてつもなく大きい。

かなしい現実

コロンビア大学のキャンパスツアーにいってきた。

そのときに一人に方に話しかけられた。
彼は、広島からNYにきていてツアーが終わった後に「まだ話しましょう」という雰囲気だったので、少しばかりお話をしました。



彼「どこ大学に通っているんですか」
オレ「慶應です」
彼「えっ、そうなんですか(驚く)」
オレ「どこ大学に通われているんですか」
彼「いっても分からないようなランクの低い大学です」


そういう返しを受けたボクが驚いた。彼はコロンビア生のガイドの英語をほとんどわかっているようだったし、普通に話をしていたから。

驚いたポイントは、彼が自己卑下したところにある。

ボクは、彼は英語でのコミュニケーションがこっちにきてもできているし、なぜそういう態度を取るのだろうと不思議に思った。

なぜだろう?

でも、学歴社会にとらわれるとこうなるのかもしれないと思った。


「海外の大学院を目指しているか」という話題になり、かなしい現実を思い知った。

そのとき、彼が「どうやったらいい成績をとれるのかわからない」と

ボクは、ますます自己卑下する彼を不快に思ったのだが、よく話を聞くとすごいことがわかった。

彼の大学では、

○学部の教授の授業では△学部や□学部の生徒がいい成績をどんなに頑張ってもとれないようになっているらしい。

とんでもなく悲しくなった。そんなバカな。ありえない。
絶対にそんなの変えるべきだし、誰にだってチャレンジする機会があって当然だ。特に、学校の成績が重要視されるアメリカの大学院に進学したいと思ったって、そんなの無理だ。

海外の一流大学にしたら、彼のいく大学も慶應も名前もランクもわからないだろう。


彼の大学教授が目を覚ますことを祈る。

2013年3月14日木曜日

Everything is learning

更新が滞りまして、さーせん!

今はNYにおります。着いたのは11日だったんですが、長時間フライト+後ろの席に赤ちゃんがいてずっと泣いてたので、時差ボケが最悪にヒドいです。

昨日(一昨日)も寝たのは7時。今日(昨日)も寝たのは朝7時。今日は、真夜中に泊まっているところの前で何故か工事。


とういわけで、体調がすぐれません。


だが、NYには「アートに触れるのだ!」という意気込みできたので、


へ行ってきました。

入り口はこんなん。きれいです。


中は展示物が多くて、3時間弱くらいいましたが、楽しかったです!
一番良かったのは、恐竜のとことDNAのところ。

壮大でした。日本では見られないであろう展示物がいっぱい。いろんな土地の発展の様子もみれて、なんだか同じように発展しているようにみえて、そうでもないかなぁと思ったり。

帰りは、セントラルパークを歩いてみた。
走ってる人、サイクリングしている人が多い。

みなさん、健康志向ですな。


今回は、「NY楽しんでるぜー!」とか書きたいわけじゃないんです。

実は、今回はハウスメイトがいるところに泊まっていて、ほぼ一人で行動しています。それを望んでここまでやってきたのですが、けっこう大変。

例えば、ご飯も全部自分で何とかしないとだけど、袋の言語がちがうだけでもう何もする気になれない。それに一人なので部屋では予想以上に寂しい。

もちろんハウスメイトと話はするけれど。


そして、このハウスメイトが本当に良い人。

「分からないことがあったら言ってね!」

と言われ、わからないことが多いので質問も多い。だけど、イヤな顔せず答えてくれる。

今日、正直に話してみてた。

「例えば、ぼくは日本でもちょっとは料理する。料理する気にならなかったら、友人を誘ってご飯にいく。だけど、ここでは基本的に一人だし、言語が違うだけなのに生活するのが難しい。難しいというか、やりにくくさせてる。君とボクはそこまで年も変わらないのに、君の方が自立していて素晴らしいなと思う。ボクは”何もできていない”。」

そこで一言

"Kenji, everything is learning."

と言われた。

分からないことがあっても当然だと。ボクだってはじめはできなかった。
これは国も違うし初めて来た街(えぇNYは今回がはじめて)なんだから、これから学んでいけばいいんだよ。

とゆっくり話してくれた。


滞在中にこの素晴らしいハウスメイトのためにご飯を作ろうと決意。予定的に来週になるかもだけど、作って喜ばせたい。

それくらいしかできないから。


ちなみに、こちらでも英語の勉強継続中です。
単語帳も少しずつやってます。が、英語で全部やりとりなので、「起きてる時間=勉強時間」みたいなもんです。

2013年3月9日土曜日

でかくなりゃそれでいい

月曜から少し日本を離れるのでその準備が忙しい。

いや、楽しんでやってますけど。


TEDxKeioSFCが終わって、しばらく自問していたんすよ。


このまま、道をつっぱしれるのか


あの活動を通じて本当に刺激的な方に会ってきました。

他のTEDx関係者や海外の超一流大学に通う学生、ダボス会議出席者や国会事故調の調査員の方など。
普通の大学生じゃお目にかかれないような人たちだと思う。

それに、プロジェクト参加の話も幾つか頂いた。本当に光栄なことです。

だけど、ボクは素晴らしい方々に会う度に毎度思っていた。

「自分ってなんてちっぽけなの」と。

日本の文化は全然わかっていないし、海外のこともしらない。
それに英語だって満足に使いこなせないし、さらには日本語も苦手(ブログを読めばわかるかと)。

ボクは、とにかく自分の意見をしゃべっちゃうたちなのですが、とりあえず、どんな相手でも自分が嫌だったら嫌といっちゃうし
ただこれは、ある意味でボクの長所なの。だって本当に年齢とかも関係ないしね。

こないだも「初めまして」の場でやってしまって、大変恐縮でした。。


しかし!こんなん普通でむしろそれはスタートラインっしょ!みたいな感覚なの。
みなさん、自分の主張はかなりはっきりされるんですね。しかも理論武装された状態で。

だから、議論していても悔しいし、惨めになっちゃう。


自分の価値ってなんなのさ



昨年、ある方に

「Missi は本当に海外に行きたいの?そういう感じには、みえない」

これを聞いたときに耳を疑った。

ボクは今まで日本に育って、窮屈な思いばかりしてきて、海外の人や海外経験のある大人と話したときに、こっちの方があってると思ってたから。

それに、海外にいったほうがええんちゃう。って大勢の方に言われてきたわけ。
で、いきたい!と思った。

だから、「っは?なに言ってんの」と。

だけど、最近そう言われた理由がわかった。

意識が変わったという評価は、行動が変わったあとに受けるもの。

それだ。狂ったように英語の勉強してねんだよ。やる

2013年3月5日火曜日

ぼくは勉強ができない

高校3年生の12月に読んだ本。

現代文の授業で取扱って、とにかく面白くて本を先生から頂いて全部読んだ。

今日、久々に本棚の整理をしたら(今日も体調がよくないので)、出てきたので懐かしくて少し目を通した。

(http://www.shinchosha.co.jp/book/103616/)

そのときは

「受験なんてクソくらえ!」

なんて思っていた。

部活も引退して周りが勉強する中、部活やっててあんまできなかったこと多かったなぁと思ってた。

旅行や読書、女の子とデートしたり....etc......

そんなことを感じていたときに読んだからか、まだ内容は覚えていた。

青臭いときの思い出の本なんです。


また、当時のボクは勉強があまりできなかった。というか、いろんな理由をつけてしなかった。

「東大いくやつとか雲の上」
「頭のできよく生まれたかったぜー」
「自分には慶應とか入れねーよ」

とか思いながら。ただのへタレだったわけです。

そのときからすれば、180°くらいちがう価値観をもって人生をすごしてる。

やったことないからおもろいんじゃん!
死ぬ気になりゃたいていできるっしょ!

みたいな感じ、いま。

なんでここまで変わったのかなぁ。

だけど、そんなふうに生きている今も


ぼくは勉強ができない


とは思う。ボクより勉強のできる人がいっぱいいるのは事実だから。

ある意味、これを認めることができたのは大きかったかもしれない。昔の自分は、理由をつけて勉強しなかったけど、認められなかっただけなのかも。

自分の気持ちが切り替わったりするときって、自分の弱点とか感情を認めてあげたときが多かったりもする。

「あー、オレって今すげー焦ってるわ」

みたいな。

一個、今日認めてあげたことがある。

「寂しがりやかも」

って。

たぶん、いろんな人に触れながら、空気を感じながら(読みながらではない)生きていかないとダメなんだと思う。

ふと、友人と電話していて感じた。

体調がよくなく、外に友人と会えない今も少し寂しいわけです。


勉強時間:1時間

2013年3月4日月曜日

オンとオフ

みなさまは、オンとオフの切り替えが上手くできますでしょうか?

ボクはその差がはっきりしていて(というかむしろ激しい)、こういう休み中も活動的にしている友達はすげーなと思ってしまうわけです。皮肉ではなくね。

去年から1月末は、TEDxKeioSFCの開催後に休む間もなく試験があり、なかなか休めなかったりして体力的に辛いなぁという感じでした。


だけど、社会人になったら何年も何年もそんな状態になるんであろうなぁと。
お世話になっている社会人の方々は、まぁ激務みたいな状態ですよね。それでも、ご飯をご一緒させて頂いたりと....ありがたい限りです。

こんなことを改めてこの記事を読んで思い出しました。

最近、ワークライフバランスという言葉をよく聞きます。たしかに大切なことだと思います。

小室淑恵さんはワーク•ライフバランスという会社を立ち上げられて、TEDxTokyoでもプレゼンされていましたね。


ちなみに、TEDxTokyo2012において日本語でプレゼンされた中で、ダントツに上手かった。

個人的には、ワークワークな激務でも素晴らしいアウトプットを出されている方は、遊ぶのも上手な気がします。ボクの知り合いの方々は、羨ましいくらい遊び上手なんですよねぇ。

こないだも、「もっと遊ばなきゃ!」と社会人の方に言われ、

はぁ?という感じでしたが、その人は「勉強なんていいよ」とは言わず

勉強やるのは当たり前と。


たしかに、アメリカの大学に通う友人はハンパじゃなく勉強をしていますが、フライデーナイトはパーティにいったりしていますね。時期によっては、もちろん金曜でも勉強していますが。

オフの日にしっかり遊べる(オフはだいたい家で読書なのです)ように体力も必要だなと思いだしてます。ということで、最近は定期的にジムにいったりと。

体を動かすとストレスも吹っ飛ぶしいいですね!

だけど、今日はなんだか体調が悪くおとなしく。ということで、勉強はお休み。

2013年3月3日日曜日

little bits

little bits というおもちゃをご存知でしょうか?

これは、レゴのようにひとつひとつのモジュールを組み合わせて、電子回路ができちゃうものです!

こんなん。
(http://artefactcafe.wordpress.com/2011/09/08/test-post/)

ムービーはこちら

これは、子供が楽しく電子回路の仕組みを学べるようになっているようです。
SFCでデザインをしている学生なんかにはウケそうだよ、これ。

子供向けだけど、オレがほしい!w

これを発明した方のTED Talkがこちら。

Building blocks that blink, beep and teach by Ayah Bdeir

これは、まだ Amazon.co.jp では買えないようです。 Amazon.com でも日本への発送はしていないようで.....残念。

早く日本にもきて!!ほしいぞ!!


勉強時間:1時間

2013年3月1日金曜日

違和感

最近、いろんなプロジェクトへ参加のお話を頂いたりしていて、

誰を知っているか - Who you know -

って大切だなぁ。と、感じることが多々あります。

日本では、グローバル化が叫ばれていますが、もう”既に”グローバルなのです。
世界の人々と繋がれますし、世界規準でものごとを見ないと意味なくなっちゃってますよね。

(http://www.chennaidatacom.com/)

例えば、プロジェクト参加のお話を頂いたときに、

「◯◯さんは知っていますよ」
「それなら適任の人を知ってます」

などと、それだけでも役に立つ場面があります。


TEDなんかは、ネットワーキングの場としては本当にいい場所だと思いますし、
よくワークショップにでかけている友達なんかは、FBのFriends数が多いです。

たしかに、人から学ぶことはとても多いです。海外の友人がいれば、生活スタイルや考え方、日本への反応など多くのことを知ることができます。


だけど、ボクが今日言いたいことは、

じゃあ、自分は(あなたは)何知ってんの、何できんのよ - What you know -

って話せんのかが一番大事じゃないのってことです。

国内だけでなく海外の友人もいて、人脈のHUBみたいな人っていますよね。

そういう中で、

全然勉強していないし、
少しアカデミックな話や哲学的な話はできないし、
仕事も....

大丈夫かしら?って人がけっこういるなぁと。

誰々を知っているからってだけで、バリュ—になっちゃってる人って多いと思うんですよ。

ボクが感じている違和感って、これなんです。

TEDの活動が日本でも広まり始めて、FBでイベントを気軽に作って集まれるようになった。
けど、それは

語れるものがある人

にとっては、とても意味のある場だと思うんですね。

最近、そういう場にいくと

◯◯大学です。
△△で働いています。

とか、そういうことしか聞けないんですよ。これは、日本人のもともとの特徴でもあるので仕方ない部分もありますが、いやそこで何したか、何得たか教えてよって。

もともとコンテンツはあるけど、話すことをしてこなかったから話せないのかもしれません。

けど経験上は、話している中で、ツッコンだり、一段階深い質問をしても答えられないって人が多いなって感じています。


大学で一生懸命勉強したり、ひとりになって本を読んだり
何かプロジェクトに関われば、そこで何を得て何を学んだか考えること

そういうことも大切かなって。
でかけていって、新たな出会いも大切だけど、自分でも 語れるもの をつくることも大事かと思います。

あなたは、何を語り何を学ばせることができますか?


勉強時間:一時間(このあとやるで!)