2013年3月22日金曜日

かなしい現実

コロンビア大学のキャンパスツアーにいってきた。

そのときに一人に方に話しかけられた。
彼は、広島からNYにきていてツアーが終わった後に「まだ話しましょう」という雰囲気だったので、少しばかりお話をしました。



彼「どこ大学に通っているんですか」
オレ「慶應です」
彼「えっ、そうなんですか(驚く)」
オレ「どこ大学に通われているんですか」
彼「いっても分からないようなランクの低い大学です」


そういう返しを受けたボクが驚いた。彼はコロンビア生のガイドの英語をほとんどわかっているようだったし、普通に話をしていたから。

驚いたポイントは、彼が自己卑下したところにある。

ボクは、彼は英語でのコミュニケーションがこっちにきてもできているし、なぜそういう態度を取るのだろうと不思議に思った。

なぜだろう?

でも、学歴社会にとらわれるとこうなるのかもしれないと思った。


「海外の大学院を目指しているか」という話題になり、かなしい現実を思い知った。

そのとき、彼が「どうやったらいい成績をとれるのかわからない」と

ボクは、ますます自己卑下する彼を不快に思ったのだが、よく話を聞くとすごいことがわかった。

彼の大学では、

○学部の教授の授業では△学部や□学部の生徒がいい成績をどんなに頑張ってもとれないようになっているらしい。

とんでもなく悲しくなった。そんなバカな。ありえない。
絶対にそんなの変えるべきだし、誰にだってチャレンジする機会があって当然だ。特に、学校の成績が重要視されるアメリカの大学院に進学したいと思ったって、そんなの無理だ。

海外の一流大学にしたら、彼のいく大学も慶應も名前もランクもわからないだろう。


彼の大学教授が目を覚ますことを祈る。

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