2014年11月1日土曜日

ねえ

ビニール傘は他の傘とは音が違う。水をはじくとき、より高い音が鳴る。それは雨脚が強まるとともに大きくなっていく。リズムを感じながら傘の頂点を見上げ水が跳ねる様子をみていて心地よかった。けれど、水が垂れていくのをじっと眺めていると、何かがこぼれ落ちるように思えてギュっと痛くなった。


そんなことを思いながら家電を扱うお店に入る。この間気に入っていたイヤホンをなくしてしまったので同じものを買う。耳にぴったりくっついて、音がすぅっと入ってきてなんだか嬉しくなる。聞こえてくるのは音楽じゃなくgengo。

しかし、あとどれだけ聞けば英語を聞き取れる様になるのだろうかと思うと少し憂鬱になる。BBCでJapanというワードが出た瞬間に、日本が出てきたと気を取られ、すぐ内容に追いつくことに必死になる。理解というところにいくのには時間がかかりそうだ。まだ掴めそうで掴めない。

だけど、この4年間で僕の耳はかなり「英語」という言語にずいぶん馴染んできたように思う。

いつの間にか英英辞書でないと落ち着かなくなった

CMと書かれた暖かい飲み物を飲みながら、異なる言語でモノを書きながら友人を待つ。いつものように姿勢よく颯爽と現れた彼は、少し疲れた感じでハロウィンを楽しんで遅かったのかなという予測が頭をよぎる。

そして、いつものように僕が書いた拙い文章を彼が読む。読んでいる間僕は、彼がアレンジした音楽を聴きながら待つ。久々にイヤホンから音楽が流れたことに少し感動すると同時に「こんなこともできる彼は多芸だな」と感心する。

読み終わると同時に開口一番、

この2,3週間でだいぶ上手くなったよ。細かいミスはあるけれどストラクチャーもわかりやすい。正直初めの頃はなんて書きたいのかわからなかったけど。

正直だなあ、と心の中で苦笑いしつつもでも呟いてひとつひとつの言葉遣いを確認しながら、丁寧に指摘をくれてありがたく思う。でもあいかわらず aかなのかtheなのかは苦しむ。まあでも考え方は何となくわかるのであとは慣れなのかしらん。

英語を見てもらった後、このあとは何するの?と聞かれて「勉強だね」と答えないといけない自分は何てつまらないのだろうと思った。別にこのあと互いの共通の友人と会う彼が羨ましい訳ではない。

だけど、何だか毎日英語の勉強と研究で四苦八苦している僕は何かに追われているようで必死に走っているけれど、掴もうとしている何かは待ってくれず常に焦っているようになっている。


だけど、多くの人はあまり気にも留めないであろう雨の音に気付けたよ。小さな小さな日常の変化に違和感を感じられるほどに今日は心の声が聞こえ落ち着いていたように思う。

それも、僕の英語を読みつつ一週間のアップデイトをして笑わせてもらえるような時間があるから、何となく一息つけているのだともう。

毎朝不安にかられるけれど、止まるほどもう弱くはない。解決策を描きだし悩み実行してみる。四年間で一番気持ちが強くなっているはず。

ねえ、いつまでやればいいの、どれだけできたらいいの

心の叫びは尽きない。その度に目の前のことから目を背けたくなる。見なかったことにしたくなる。だけど、そういう思いがでてくるとすぐに「できるようになるまで、止まるな、まだまだいける」というもう1人の自分がいる気がしてならない。

あと少しだよ、あと少し。もうちょっとだから、とね。

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