Japanese Only...
今日は少し熱く書いてみたいと思う。
大学時代、僕は本当に本当に人に恵まれていた。そして、その人たちから人生を生きる上で大切な言葉をかけてもらってきた。10代から20代の前半でそういう人たちに囲まれ、そして関係を築けたことは、人生の宝物だと思う。
時は、2011年秋。黒川清さんの授業を受ける機会を得た僕は、そこで毎週現れる素晴らしいゲストスピーカーの話を聞き質問をしまくるなかで、SFCという環境への感謝が生まれると同時に、その場に教室にこない学生の多さに愕然とし、「なぜこんなにもったいないことができるのか」と、なんとも言えないもの寂しさを覚えた。
SFCの外に出てみたい
その思いがふつふつと湧いてきた同年冬。当時、利用していたTwitterで偶然、慶應をやめて海外の大学へ編入した人のアカウントを見つけフォローした。なぜかは分からない。気づいたら、その人も僕のアカウントをフォローしてくれていた。
その瞬間に、思わずキーボードを叩いている自分がいた。「一度話を聞かせて欲しい」
すぐにその人から返信が来て、Skypeをすることに。海外の地で、猛烈に勉強し学ぶ喜びを噛み締めているキラキラした同世代がいることに感動した。
「1週間でも良いから泊まらせてもらえませんか」
ためらいながらもそう伝える。たぶん、本当に僕が来るなんて思ってなかったのだと思う。その人は、「良いよ」と返事をしてくれた。
授業が終わって一息ついた春休み。初めての成田、国際線。そう僕は20歳ではじめてパスポートを握りしめて海外に発った。乗り換えのLA。間違えないように、何度も何度も拙い英語で同じ質問をした。
そして、無事に飛行機を乗り継いでようやく着いた空港から、電車に乗って、ようやくその人が待つ校内へ。笑顔で迎えてくれた彼は、「本当に来たんだね」と言って、本当に多くの人を僕に紹介してくれた。Twitterがきっかけの初めての海外旅行、しかもそれが大学という僕を、みんな面白がって仲良くしてくれた。共にサッカーをし、食事を食べ、語らう。
授業に潜らせてもらったり、猛烈に勉強し眠いまぶたを擦り朝一の授業へ向かう彼の背中を見たりして、僕の価値観は大きく変わった。この環境を素晴らしいと思うと同時に、多くの素晴らしい講師や刺激的な生徒のいるSFCで、自分ができることは沢山あるかもしれない、そう思った。
その彼に笑顔で、そしてなぜか涙が流れつつ、帰りの便が待つ空港へ向かう電車に乗った。そこで、コートを彼の寮に忘れたことに気づく(笑)。感動の別れのはずだったのに。だけれど、このコートが、彼が帰国時にもう一度会う機会を作ってくれた。
日本に帰ってから、カンファレンスの運営をし、原発に関連したプロジェクトに関わる機会を得た。大人の方に猛烈に怒られたり(僕がいけない)、とんでもない赤字になるかもしれないというギリギリを過ごす経験を得た。そういう経験を通じて、多くの素敵な仲間とメンターと出会い、関係を築いてきた。もちろん、初めて赴いた海外の地で出会った素晴らしい友人たちともSNSを通じて、その場限りじゃない関係になった。
みんな、兎に角まっすぐだ。若い20代だけだから?違う。50歳を超える人たちも、本当に真摯に信念をもって、悩んで、それでも前向きに生きている姿を見せ続けてくれている。僕の一生のメンターだと勝手に思っている。
初めての渡米を許してくれた彼が、僕を素晴らしい人の渦へ取り入れてくれたんだと思っている。
朝起きると涙が止まらない状態が続いた、2014年の初夏。こんな状態が一ヶ月くらい続いた。はんぶん鬱のような状態だったかもしれない。だけど、この時、周りにいる人たちのおかげで立ち直ることができた。多くの励ましがあった。そんなときに、メンターの方からかけてもらった言葉がある。
恵まれずにいる人も社会にはたくさんいる。だから、恵まれていると思う人には、必死に生きる義務がある。
その言葉を言われた瞬間に心が震えた。「何してるんだろう」と、もう一回立ち直るきっかけになった。
そして、多くの友人のサポートをがあって、もう一度空を渡る機会を得る。自分の居心地のいい場所を出た、今。日本人の僕はとんでもないマイノリティ。だけど、一人の人としてどこまでできるか。日本人も外国人も関係なく、今度は僕が幸せな渦の中心となり周りを巻き込む番になりたい。おこがましいかもしれないけれど、そう心の底から思う。強くそして誰よりもまっすぐ生きていきたい。
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